麗子像(肩掛け麗子)

岸田劉生( 1891-1929 )

この作品は1919年(大正8年)4月21日に5歳の麗子を描いたものである。当時、劉生は白樺派の人々と交流し、雑誌『白樺』や西洋絵画の複製画、泰西版画などを通じて数々の西洋絵画に触れていた。『白樺』は印象派の紹介で知られるが、大正期にはイタリアルネサンスや北方ルネサンスの巨匠の名画も紹介していたのである。

そして、この頃の劉生はダヴィンチやデューラーやファン・アイクなどのルネサンスの画家に感銘を受け、熱心に追究を続けた。特にデューラーの細密な描写による写実的な表現に傾倒する。この作品でも緻密な線描を重ね、麗子の静粛な表情を描きとめている。陰影をつけることにより頬の肉の凹凸や目元のくぼみを強調するところにもデューラーの影響が見て取れる。また、「麗子」や「劉」という赤い飾り文字もデューラー風である。

ただし、ここで注目すべきは劉生が単なる古典の模倣ではなく、独自の新たなる画境に入っていたことである。それは麗子の「全体から来る無形の美」が表現されているところにある。劉生の素描はそれ自体が一つの作品として成り立ち、時に油彩画に引けを取らぬほどの迫真性をもって存在している。デューラーもダヴィンチも吸収し、劉生独自の芸術が写実に深い精神性を備えたものへと成熟してゆく時の、傑作中の傑作である。