粉吹手徳利

川喜田半泥子( 1878-1963 )

川喜田久太夫政令(まさのり)、号を半泥子、無茶法師ともいう。
木綿の売買によって権勢を誇った津の豪商の跡継で、後に百五銀行の頭取となった実業家である。
そのような人物の作品であるというと、単なる趣味の産物と考えるむきもあるかもしれない。
しかしよくある「やきもの趣味」と異なったのは、工程のほぼ全てを自ら手掛けたこと。
本格的に作陶を始めたのは還暦も近くなってからのことだったが、半泥子は土選びから焼成まで自ら行なった。
生涯で作った作品は数万点にのぼるとされる。
指紋は磨滅していたという。古陶への造詣も深く、伝統を下地にしつつも自由なその作風は他の陶芸家たちにも影響を与えた。
後に人間国宝となる荒川豊蔵(1894-1985)や金重陶陽(1896-1967)などがその例である。

粉吹(粉引)とは陶器の一種で、白い化粧土を全体に施したものを指す。
白い粉が吹いたように見えることからこの名がついたとされ、朝鮮王朝(李朝)の茶碗などがよく知られている。
この徳利は白土にかなりムラがあるが、その分表情豊かに仕上がっており、眺めていると人が坐った姿のようにも見えてくる。