汁次

北大路魯山人( 1883-1959 )

馥郁たるつゆの香が漂う汁次(汁注)。
比喩ではなく、蓋を開けると本当に天つゆの香りがする。かつて「天一」で活躍していた品である。
釉薬の種類や施釉の仕方、表面の線条文は少しずつ異なるが、型が共通するらしく寸法は三つとも一致する。

魯山人もまた川喜田半泥子のように「天一」に足を運んだ客の一人である。
両人はしばしば引き合いに出されるが、「天一」初代・矢吹勇雄は、魯山人はビフテキの味で半泥子は鯛の刺身と評した。言い得て妙と思われる。

工程の殆どを自ら手掛けた半泥子と異なり、魯山人の作品は当人以外の職人の手が加わっていることが多々ある。
その違いは両人の美学と環境に起因するだろうが、茶寮での使用に供する必要に駆られていた魯山人は、制作の全工程を自分一人でやらなかったことへの後悔を文章にしている。
傲慢、不遜ともとれる発言で知られ、敵も味方も多かったという魯山人※1。その作陶論にあるのは、過去の名品になぞらえつつ新しいものを生み出す「写し」の美学である。

「…やきもの作るんだって、みなコピーさ。なにかしらのコピーでないものはないのだ。ただし、そのどこを狙うかという狙いどころ、まねどころが肝要なのだ※2」

※1 中川一政「鑑賞家―魯山人」(『別冊太陽No.41 北大路魯山人』)平凡社、1983、p.4,5 画家である中川は、岸田劉生と魯山人は「あくが強い」点において共通すると述べている。
※2 北大路魯山人『魯山人著作集第1巻』五月書房、1998(初版1989)、p.473