彌智子

佐伯祐三( 1898-1928 )

ここに描かれているのは佐伯祐三の愛児彌智子である。 彌智子は佐伯の死後2週間して、パリの佐伯のアパートで6年半という短い人生を終えた。
佐伯祐三は1898年(明治31年)、大阪に生まれた。 1918年(大正7年)、東京美術学校西洋画科へ入学。 1921年(大正10年)、恋愛関係にあった米子と結婚し、翌年生まれたのが彌智子である。
二度の渡仏をし、ヴラマンクやユトリロの影響を受け、 やがて鋭く激しい筆触によりパリの街並みや、郊外の風景を描いた作品などを短期間に数多く制作した。 1928年(昭和3年)パリ郊外のエブラール精神病院で結核と精神衰弱により、30歳で亡くなった。

この作品は第一次滞欧期の1925年頃に制作されたもので、筆触は強く奔放である。 手足の部分は何度も塗り重ねられ、子供特有の丸みを帯びた肉付きとなっている。 また頬の赤みが愛らしくふっくらとした柔らかい子供の肌の感じがよく出ている。
そして、暗色の背景に対し、彌智子の洋服の青や赤、腕や腿の肌色の部分は白を効果的に用いて明るい光を帯びている。 このように、絵画への情熱のこもった烈しい筆触の中にも、どこか彌智子に対する愛情が感じられる作品に仕上がっている。 制作意欲に燃えながら、家族と過ごした束の間の安穏な日々が背景に見えている。