秋景山水

池玉瀾

大きな岩の奥にのぞく渓谷。懸崖からは滝が流れ落ち、遥か遠くに湖を望む。川のせせらぎが静かな谷間に染みわたる。ようやく木々が色づき始めた。長閑な初秋の風景である。池大雅の山水を思わせるこの作品は、大雅の妻・池玉瀾によって描かれた。
池玉瀾は名を徳山町といった。大雅より5つ年下である。京都祇園の八坂神社の鳥居前にあった松屋という茶屋の娘として生まれた。祖母・梶、母・百合は和歌に造詣が深く、二人とも歌集を残している(注1)。また、百合は書でも有名であった。この玉瀾の育った祇園の茶屋と大雅の営んでいた二条樋口の扇屋は近所であったため、百合も玉瀾も大雅のことを早くから知っていたと考えられる。詩才豊かな家庭で育った玉瀾が、当事としては珍しい唐絵の画扇を売る大雅に関心をもったことは不思議ではない。大雅が20代末のころ、二人は結婚した。玉瀾は大雅を支える良妻であるとともに、柳里恭と大雅から絵の教えを受けた女流画家でもあった。柳里恭は玉瀾の才能を大いに認め自分の号・玉桂の一字を与えている。また、大雅は基本的な画法を絵手本にして玉瀾に与え手ほどきをしていた(注2) 。このため、玉瀾の画風は大雅の影響が強く南宗画様式のものが多い。
この作品は、画面左下に岩場に生い茂る木々と小亭を大きく配し、その右上にごつごつとした断崖を描いている。そして、その奥に量感のある主山を堂々と描いている。まるで岩壁の陰から渓谷を覗き込むかのような立体的で臨場感のある画面構成である。上部には淡墨で遠景を描き遥か遠くへと続く空間の広がりを表現しようと試みている。
大雅の描いた雄大な真景図の影響があるのだろう。また、木々の種類による描き分けや岩肌の披麻皴は軽妙かつ繊細で、40代の大雅の成熟した画技を彷彿とさせる。所々に茶や緑を交えた点描は変化に富み、山は生気に溢れている。そして、墨の濃淡と緑青や代赭のほのかな彩色が調和し画面に秋の陽光をもたらす。この豊かな色彩表現と隅々まで行き届いた繊細な描写が壮大な構図にゆったりとした雰囲気を加え、画面はよりいっそう詩情豊かなものとなっている。
玉瀾はその技術の高さに女大雅といわれることもあり、江戸時代の数少ない女流画家の代表的存在として今に名を残している。現存する作品は極めて少ない。

注1.梶は『梶の葉』、百合は『佐遊李葉』という歌集を残している。玉瀾も歌を詠み、『白芙蓉』という歌集にまとめられている。
注2.大雅が玉瀾に与えた『大雅堂画法』という72枚の絵が現存している。