美人画

無款

着物のあでやかな朱、細密な模様、細く滑らかな筆線で描かれた美人の立ち姿、いずれも優雅な気品に満ちている。このように左手を隠し、右手で着物の褄を取って立つ姿は寛文美人の典型的なポーズである。寛文美人図は寛文年間(1661~1673)に流行した一人立ちの美人画で、寛文以後約50年間に渡って、その流れを汲む作品が描き継がれた。この作品もその中の1つと考えられる。
さて、この美人の髪型は前髪を上げて平元結で結び、後ろの髪は背中に垂らしている。この髪型に類似した髪型の女性は菱川師宣(生年不詳~1694)の版画「衝立のかげ」(延宝年間:1673~1681)や「墨田川・上野風俗図屏風」(延宝年間:1673~1681)等に描かれている。また、この美人のように面長でぽっちゃりとした輪郭に、切れ長の目、しっかりとした鼻、小さな口といった顔立ちは、延宝年間から元禄年間(1688~1704)の美人画に描かれている。このようなことから、この作品は寛文年間以後の延宝から元禄年間辺りに描かれたものと推定される。
着物の朱の地の部分に金の細かい線描で施された草花文や雪輪模様の中にさらに細かく描かれた七宝繋など細部に渡って丁寧に装飾されている。この繊細さは染織品に刺繍や装飾を施す縫箔師の家に生まれた師宣の描いた模様に通じるものがある。ここでこの作品が師宣の作品であると断定はできないが、師宣か師宣の門弟、あるいは師宣の工房の絵師によるものではないだろうか。いずれにしろ、相当優れた技量を持つ絵師が描いたに違いない。