少女像

藤田嗣治

東京美術学校を1910年(明治43年)に卒業した藤田嗣治は、1913年(大正2年)にフランスに渡り、モディリアニやスーチン、ピカソらと交流した。藤田は古今東西の絵画を勉強し、自分が人物の目の描き方に興味を持てば、上向きの目、下向きの目というように、あらゆる目の表現を研究した。鼻に興味が湧けば真正面からみた鼻、横向きの鼻と飽きることなく探求し続けた。藤田がいかにデッサンを重要視していたかがわかる。そして、西洋の近代絵画の様式に対立するかのように独自の画風の確立を目指して研鑚を重ね、乳白色のつるつるとしたマチエールに日本画の面相筆で繊細な線描を施す様式を確立した。この乳白色のマチエールがフランスで一躍有名になり、エコール・ド・パリの一員として高い評価を得た。
さて、この作品は先に述べたような細かい線描による作品ではない。また、何度も筆が重ねられており、薄塗りの作品が多い藤田の人物画の中では珍しいものである。ただ、全体が肌色と白を基調とした同系統の色彩でまとめられていることは、多くの色彩を使うことを好まなかった藤田の特徴がよく出ている。
また、少女の丸みを帯びた輪郭、大きく見開いた目、軽くつぐんだ口元を見ていると、少女の一つ一つの部分の特徴を如実に捉えようとした藤田の姿が目に浮かぶ。特に少女の丸く少しつり上がった目には力があり、見るものを強く惹きつける。抑えられた色調と筆触による作品であるが、少女は画面の外にぐっと迫ってくる。作品の根底にある藤田の確かなデッサン力がこの作品の迫真性を支えているのだ。