金銀泥岩上蘭竹図

柳沢淇園(1704-1758)

柳沢淇園は大和郡山藩の重臣であるかたわら、絵画も巧みにこなした人物です。中国において有徳の士が余技的に手がけた絵を文人画と呼び、文人に憧れる日本の知識人たちは自ら彩管をふるいました。淇園はその典型例。蘭と竹は気高さの象徴として文人画の主題に好まれたもので、梅・菊と合わせて「四君子」とも呼ばれます。